▼不定期コラム(2016/02/07)
気が付けば・・・
 最後にコラムを書いてから10年も経っていた。
 南京ツアー・コンサルティング様から閉鎖することになり解除のお願いの連絡が来て久しぶりにメンテナンスをしました。
 我々のページも運営してから結構頑張ってるなw。確か1999年からだから17年ぐらいかな。ずっと更新さぼってたけど・・・。
 旅行記も頑張って更新しますので気長に待っていただけると助かります。
 最近、日中問題やらPM2.5とかの問題などでちょっと中国へ行けてないのですが、とりあえず、過去の分だけでも完成させねば・・・。
 ただのつぶやきみたいになってしまいました。すみません。
(隠者)

▼不定期コラム(2006/02/04)
故事考察三「三年鳴かず飛ばず」
 今回は春秋戦国時代の話から、「三年鳴かず飛ばず」の故事についてお話します。
 春秋戦国時代(紀元前400年頃)は秦、晋、斉、楚、呉、鄭、魯などの国が割拠する戦乱の時代でした。 その中の楚国(現在の荊州あたりの国)の荘王は即位のとき、「一切の諫言を許さず、敢えて諫する者は容赦なくこれを誅す」 と布令を出し、政令を発することもなければ、朝廷も開かず朝議にも顔を出さず、 まったく政務を顧みることなくもっぱら後宮に篭って酒色に沈溺していました。
 何人かの大夫が諫言をしましたが、その度に誅殺され、敢えて諫言をする人がいなくり、 三年が経ったある日、たまりかねた大夫の蘇従という人物が、荘王の側近の伍挙に取次ぎを頼みました。
 伍挙は荘王に謁見して謎かけをします。「阜(山の頂上)に大きな鳥が止まっております。 三年の間じっとして鳴かず飛ばず。さてそれは何の鳥でございましょうか?」
 荘王はそれに答えてこう言いました。「三年も飛ばないから、ひとたび飛び立てば天に沖し、 三年も鳴かなかったから、一旦鳴けば人々はその声に驚いて肝を潰すぞ。」
 蘇従がさらに聞きました。「その鳥はいつ飛び立ち、そして鳴き出すのでしょうか?」
 すると荘王は「今すぐ、飛び立つぞ。」と朝議を開き、三年の間の功過により大夫を処分し、 楚の国は繁栄しました。ちなみに、この伍挙はあの伍子胥の祖父です。

 また、別の話として斉国の威王が即位の当初、後宮にに閉じこもって長夜の宴を張り、歌舞にその日を送り、 朝廷に出席して政務を見ようとはしませんでした。そして、政治の運営は大臣に委せきっていたので、 国内では官吏の執務は怠惰をきわめ、斉国の存亡は明日も量れないという危機にまで陥りました。 しかし、威王の剣幕に恐れをなした近臣は誰も諫言を言えませんでした。
 このとき、大夫の淳于コンが威王の前に出てきて謎を問いかけました。「国都に大きな鳥がきて、 朝廷の真中に舞い降りました。それから早くも三年を数えるのに一向に飛び立つ様子も見せなければ、 鳴く様子もございません。王様はこれが何と言う鳥だかご存知ですか?」
 威王は即座に「鳥は飛ばなければそれまでだが、一旦飛べば直ちに天に舞い上がろうとするからだ。 鳴かなければ仕方ないが、一度鳴けば人を仰天させるほど大声をあげるからだ。」と答えました。
 そして、行政の実績をあげていた者に重賞を与え、実績の見るべきものが無いのに評判ばかり高かった者に死罪を宣告しました。

 つまり、「三年鳴かず飛ばず」の意味するところは、本当の君子は一時期におかしな行動(不遇な時)があったとしても、 先のことは考えていて一旦動くと驚くほど素晴らしい行いをするということです。 ちょっと行動のおかしい人や不遇に悩んでいる人に「三年鳴かず飛ばず」の謎賭けをしてみると素晴らしい業績を上げるかもしれません。
(隠者)

▼不定期コラム(2005/04/21)
中国の抗日運動と民衆蜂起の歴史を考える
 今、中国で日本大使館や日本企業・製品をターゲットにした攻撃やデモが盛んに行われていますが、 こういった民衆の蜂起について歴史を見て考察してみようと思います。
 中国の歴史の中で私の記憶にある民衆の叛乱による事件は、秦に対する陳勝の乱に始まる楚漢の攻防、 後漢末期の黄巾の乱、隋の煬帝に対する叛乱といったところでしょうか。 いずれの叛乱にしても結果的に国の統治政権は替わっています。それぞれ秦は漢に、後漢は魏に、 隋は唐に、清は中華民国にというふうに・・・。さて今回はどうなるのでしょうか?
昔と今の蜂起の対象はちょっと違うので一概に言えないでしょうが興味深いところです。

さて、もう少し詳しく民衆蜂起の歴史について考えて見ましょう。
 秦代の民衆蜂起の原因は圧制による民衆の酷使による不満が爆発した結果、陳勝・項梁・劉邦といった 群雄たちが蜂起し、最後に劉邦の漢が中国を統一しました。
 後漢末では、政治が腐敗して張角を首領とする「太平道」という宗教の信者が黄巾を頭に巻いて叛乱を 起こしました。この所謂「黄巾の乱」は鎮圧されますが、結局漢は力を失い、曹操・劉備・孫権といっ た英雄が出現して魏・呉・蜀の三国時代へとなりました。
 隋末では、大規模な工事と遼への遠征による兵役や飢饉により叛乱が各地で起こり、李世民のいる唐が 中華を統一します。
 清末では各地で続発する民衆反乱を皮切りに、清王朝の統制が利かなくなって、アヘン戦争で列強に 徹底的に痛めつけられ、太平天国の乱と続き、辛亥革命によって王朝時代の幕が閉じ孫文を臨時の大統領 とする民主共和国となりました。そして、中華人民共和国となりました。

一方、中国の外敵に対する反抗の歴史を見てみましょう。
 漢代では匈奴に苦しめられ、匈奴と抗争を繰り返していました。この抗争は、劉邦の時代に始まり、 漢としては屈辱的な朝貢による友好関係の維持がやっとでしたが、武帝の時代に衛青・霍去病といった 英雄の出現により逆に匈奴に攻め込んだりしました。
 宋代には北方の異民族国家の遼に苦しめられ、宋末に力をつけてきた女真族の国家の金国と手を結び、 遼を滅ぼしますが、逆に金に攻め込まれて長江以南に追いやられます(南宋)。この金と戦った英雄が岳飛です。 そして、チンギス・ハーン率いるモンゴル民族は瞬く間に金を滅ぼし、南宋を滅ぼしてしまいます。 元の占領後の中国はモンゴル民族中心の差別政策に苦しみ、この不満が蓄積され、朱元璋の出現によっ モンゴル民族を追い出して明国が建てられます。 しかし、明も李自成の乱で皇帝が殺されると、これをきっかけに満州族の清が中華に進出して中国を統一します。 この清の統治下においては漢民族にとって屈辱的な辮髪を強制されたりもしました。

 戦争により日本も中国に攻め込み、人を沢山殺してしまっているようです。そして日本にも少なからず 被害があったはずです。しかし、戦争とはそうゆうことです。そうゆう戦争はあってはならないのです。 このことから中国国民は日本に対して抗議デモをしていますが、はたして中国はどうなのでしょうか?
 降伏した秦の兵士を生きたまま谷に突き落とすという大量虐殺を行った項羽は、英雄になっていたりします。 国が分裂していたときは互いに殺し合い、略奪も行っていました。統一されて平和になったとき、 勝者は、敗者側だった全ての人間に対して謝罪と補償を行ったでしょうか? それはおそらくNoだと思います。だからと言って何もしなくていいとゆうことではありませんが・・・。
 他にも挙げればきりがありませんが、過去は過去として受け止め、未来を見据えて前向きに進むことが 必要なのではないでしょうか?

 一方向だけからしか物事を見るのではなく、もっと多くの方向から物事を分析して正しい判断をする 必要があるのではないでしょうか?
 できれば、抗日デモの対象は日本政府のみにして、一般の人や企業は標的にせず、建物の破壊活動は やめてほしいものです。建物を破壊しても何も得るものはありません。失うものの方が多いのです。 一つの欠点を取り上げて全てが悪いという判断はおかしいと思います。日本国民もある意味戦争の被害者です。
 日本企業が進出したおかげで働く場所も増え、生活が安定してきたとは思いませんか? 日本企業を追い出したら、そこで働いていた中国人の人達の生活は追い出した人がちゃんと補償して くれるのでしょうか?

 私は、デモに参加している人は一部の過激派に利用されているのではないかと危惧しています。 人が増えれば取り締まりも難しくなり、例えその中の少数が破壊活動をしたとしても鎮圧は難しくなります。 もう少し冷静に行動してほしいと思います。
最後に、今後とも日本と中国の友好関係が続くことを祈っています。
(隠者)

▼不定期コラム(2005/04/16)
故事考察二「呉下の阿蒙」
 今回は三国志の故事から、「呉下の阿蒙」の故事についてお話します。
 中国の三国時代の呉の国に呂蒙(字は子明)という人物がいました。 呂蒙は武術一点張りで学問は興味が無かったので「呉下の阿蒙」(呉の蒙ちゃん)と呼ばれていました。 あるとき、呉の君主である孫権(字は仲謀)は彼と蒋欽に「君たちは共に権要の地位にあって万事を処理しているが、 学問をして自らの知識を広くすることも必要であろう。」と学問を進めました。
 これに対して、呂蒙は「軍中にあって常に職務の多忙に苦しんでおり、書物を読むような暇は得られぬのではないかと存じます。」 と答えました。
 すると孫権は「どうして君に経典を研究して博士となってほしいなどと願ったりしよう。ただ広く往事を見てほしいと思うだけなのだ。 職務が多忙だと言うが、私と比べてどれほどのことがあろう。私は若い時代に詩経、書経、礼記、左伝、国語を次々と学び、 国政を執るようになってからも、三史(史記、漢書、東観漢記)や諸家の兵書に目を通して、自分では大いに有益だったと思っている。 君たち二人は、聡明で理解力も優れているので学べば必ず得るところがあるに違いない。やってみずにいてよいものだろうか? 急ぎ、孫子、六韜、左伝、国語それに三史を読まれるがよい。孔子も『終日食事もとらず、終夜寝ることも無く思いをめぐらせても、 それは無益である。学問をするにしくはないのだ』と言っている。光武帝は軍務の間にあっても、書物を手から離されることがなかった。 孟徳(曹操)も、老いてますます学問を好むようになったとゆう。君たちだけがどうして学問に励むことをされないのか。」 と呂蒙らを諭します。
 呂蒙はこの言葉に発奮して猛勉強をして高い見識を身に付けました。当時呉の都督(司令官)であった魯粛(字は子敬)が呂蒙と久しぶり に会って会談したときに感嘆して「呉下の阿蒙に非ず」という言葉を口走りました。 つまり、「もう昔のように呉の蒙ちゃんと気安く呼べない」と呂蒙の実力を認めたのです。
 呂蒙はそれに対して「士、別れて三日なれば、すなわち更にかつ目して相待すべし」と言いいました。 つまり、士(立派な男)たるもの、別れて三日もすれば、よくよく目をこすって見直さなければいけないということです。
 「呉下の阿蒙」とは無学文盲の人を指します。 皆さんもこう言われないように日々励みましょう。
 ちなみに魯粛は周瑜(字は公瑾)の後任として呉の都督となり、呂蒙はその後任となって呉を支え、関羽(字は雲長)を破り、 その首をとりましたが、その関羽の呪いで死んだと噂されています。
(隠者)

▼不定期コラム(2005/03/21)
故事考察一「知己」
 久しぶりのコラムです。今回からは中国の故事などから面白そうな話を見つけて紹介していこうと思います。
 まず第一回目は、春秋戦国時代の話から、「知己」の故事について考察してみましょう。 「知己」は、「士は己を知る者の為に死す」という言葉から生まれました。これは、春秋時代末期の頃、 晋という大国の士大夫である予譲という人物の言った言葉です。
 予譲ははじめ范氏、中行氏という有力な大臣の下で仕えていましたが粗略にされていたので仕えるのを辞めて 知伯という大臣に仕えるようになりました。知伯は予譲を国士として待遇したので予譲も国士として知伯に仕えました。 知伯は晋で最大の勢力を持つ大臣でしたが、趙氏、魏氏、韓氏(後に晋はこの3氏によって魏、韓、趙に分裂します) に滅ぼされてしまいます。
 生き残った予譲は知伯の恩に報いようと趙氏の暗殺を企てますが、失敗して趙氏に捕まります。 趙氏はこの予譲を一角の人物と見て許しますが、許された予譲は、再び趙氏を狙いましたが、趙氏も十分備えをしていて 暗殺は失敗し、再び捕らえられます。趙氏は予譲を許し、予譲は趙氏を襲って捕まるということを何度か繰り返します。 結局、最後に予譲は趙氏の衣服をもらいそれに剣を撃って知伯の恩に報いたことにして自殺しました。
 自分を暗殺しようとした男を許す趙氏も素晴らしいですが、恩に報いようとする予譲も立派でした。 現代の世の中でこれほど素晴らしい人間関係を持っている人はいるでしょうか?北とかはある意味こうゆう 人間関係があるかも知れませんが、半ば強制的にこうなっているのであって自然とこうなってはいないでしょう。 今で言うと会社と個人の関係でこのような関係はほとんど無いでしょう。 親友とか夫婦といった関係がこの「知己」の部類に入るかも知れません。

 つまり、「知己」とは、「自分の値打ちを知って用いてくれる人のためには命も惜しまない人も、 逆の場合はやる気をなくして去っていく」という事です。
(隠者)

▼不定期コラム(2004/02/11)
新説では無い「曹操と張飛は親戚」説
 この記事は、三国志演義だけを読んでいる人はあまり馴染みの無い事実だが、 正史や他の関連書物を読んだことのある読者や三国志愛好家にとっては既成事実であり、 新たに新説としての驚きは無いのが実情である。 (記事中にも指摘あり)
 つまり、我々にとっては「何をいまさら」である。 さらに、この記事で劉禅が夏侯霸に言ったという文章は間違いである。夏侯霸は劉禅が魏に降伏する前に蜀に亡命しており、 姜維と共に魏と戦っている。正確には夏侯霸が蜀に亡命してきたときに劉禅が夏侯霸に言った言葉である。
 事実は既に知っている人々が大勢いるが、指摘の方法が間違っているのである。 ただ、三国時代は1800年近くも前であり、その資料も信憑性が定かではないのでこの事実も怪しいかもしれない。 しかし、こうゆう空想も面白いものである。
 ちなみに、私の持っている正史には、「建安五年(200年)、夏侯霸の従妹の少女(13・4歳)が薪を取りに出かけて張飛に捕まり、 張飛は彼女が良家の娘であると知るとそのまま自分の妻とした。彼女は娘を生み、その娘が劉禅の皇后になった。」と書いている。
 また、劉禅の言葉としては、夏侯霸に自分の子供を指差して『この子は夏侯氏の甥にあたる』である。
 中国の記事を見るとやはり私の指摘が正しいような気がする。→  中国語原文
(隠者)

▼不定期コラム(2003/07/27)
科挙と日本の選挙について
 中国では科挙という試験制度を使って政治の要人を採用し国を運営していました。(ここでは科挙については詳しくは説明しません) 考え方によってはこの方法は有用な方法であると私は思います。 当時は賄賂などの不正により実際に優秀な人材を当用していかは疑問がありますが、公正に試験が行われ、政治が運用されれば、 私達も納得して政治が任せられるのではないでしょうか?
 現在の日本の政治は選挙によって立候補した人を選び、政治を任せています。本当にこれでいいのでしょうか?  実力も無いのに人気だけで当選し、政治家として大きな顔をしている人物もいるのではないでしょうか?
 科挙を実施するにしても、試験項目を何にするのかとか、試験の結果が良かったとしても本当にその人物が信用に値するのかなど 問題はあるでしょうが、まだ選挙で人を選抜するよりは納得がいくのではと思う今日この頃です。
 もしくは、科挙と選挙をうまく融合させて新たな政治家選出制度を作るというのはどうでしょう。 (隠者)

▼不定期コラム(2003/07/13)
最近の少年犯罪と三国志について
 先日、駿ちゃん殺害の犯人(中学生)が捕まりましたが、彼は三国志などの歴史物が好きだといいます。 私も、歴史物は好きでよく読んでいますが、犯罪は犯していません。 三国志が好きならそんな犯罪はやらないはずだと思うのですが、私だけでしょうか?
 最近、三国志が流行ってきてるなと感じていたのですが、この報道によって 三国志が悪書などと思われては困ります。三国志は色んな意味で良書なのです。
 少年を犯罪に追いやってしまった周りにも原因は少なからずあるのです。 親のしつけ、学校教育、テレビ/新聞/本などの外部情報、友人関係・・・。 現在は色んな情報が手に入り、人々に影響を与えます。それらの情報は人々に 影響を及ぼします。悪い影響を与える場合もあり、良い影響を与える場合もあります。 最終的にその情報を判断し、活かすも排除するのもその情報を得た本人ですが、 うまく導けないと悲しい結末になってしまいます。
(隠者)

▼不定期コラム(2003/05/19)
中国でのSARSの被害について
中国を中心に世界中に被害を拡大しているSARSですが、なぜ中国でこれほど被害が 出ているのでしょうか?
中国で被害が多いのは北京を中心とした黄河流域の地域ですが、この地域は黄砂などにより ホコリがほぼ毎日のように舞っています。これが一つの原因ではないかと個人的に考えます。 ウイルスがホコリに付着し、それを吸った人が感染してしまうという可能性もあるのでは無 いでしょうか?
 正月に上海近辺を探索してきましたが、この辺りは北方に比べてホコリも舞ってなく比較的 綺麗でした。町の人々も清潔を心がけているように見受けられました。 ここ最近は、北方は旅していないので、今はどうかわかりませんが、北の方が空気が悪い印象 があります。
この状況では、中国旅行も差し控えねばならず、悲しい限りです。
(隠者)

▼不定期コラム(2003/03/27)
フセインと古代中国の君主について
 今、米英軍がイラクを攻撃中ですが、そのイランのフセインのような人物は 古代中国に存在していたでしょうか?
 私が思い浮かべるのは、春秋戦国時代の斉の泯王です。 あの楽毅に斉を滅亡寸前まで追い込まれ、楚に助けを求めましたが、 逆に楚の将軍卓歯に殺されてしまったあの人物です。
 かつて、斉は桓公(当時はまだ公だった)の時に管仲を擁して覇を 唱えた大国で、のちに五覇の一つと言われていた国です。
 泯王は自分の欲求にのみに行動し、国民や隣国を虐げていました。 そして、斉に恨みを持つ燕の昭王により派遣された楽毅率いる 燕・趙・韓・魏・秦の連合軍により滅亡寸前まで追い込まれます。 (実際はほとんど燕が斉国の城を次々と落として行きます)
どうでしょう?まさにフセインと米軍に似ていませんか?
この後、斉では田単によって奪われた城をことごとく奪回しますが、 果たしてフセイン政権はどうでしょうか・・・。
今後の世界情勢に注目です。
(隠者)

▼不定期コラム(2003/02/26)
中国新疆大地震と政治の腐敗について
 中国北西部の新疆ウイグル自治区で24日午前にマグニチユード(M)6.8の地震がありました。
 中国ではこういった災害は、政治が腐敗しているからだというようなことが、昔から言われていました。 今回もその可能性があります。
 なぜなら、北京を訪問中だったパウエル米国務長官が江沢民国家主席との会談前に、震災の遺族に弔意を表明したが、 江沢民主席は「私は大した地震ではないと聞かされていた」と語ったらしいです。
 これは宦官によって情報を操作されているからではないでしょうか。(日本もかな)
 さらに、多数の死傷者が出ている原因は、地震多発地帯にもかかわらず建物が粗末な構造だったらしいです。 (北京の地震観測所当局者談)
 怖いですね。中国の今後の政治動向に不安を感じる今日この頃です・・・。
(隠者)

▼不定期コラム(2003/02/26)
韓国地下鉄火災と中国での可能性について
 韓国で精神異常者を装って地下鉄を放火し無理心中を謀った大量殺人事件がありましたね。
 さらに、その人物は、生きています。おかしいですね。死ぬつもりなら逃げずにその場にいれば、死ねたのに・・・。
 100人以上も死んでいるのになぜ死のうとした本人が生きているのか? やはり、計画的な犯行だと思われます。
 韓国は儒教から国の政治の基本を作ったと聞きます(今はキリスト教と仏教が主流らしいです)が、孔子はこのニュースを聞いてさぞかし嘆いていることでしょう。「嗚呼、天は・・・」なんてね。
 さて、本題です。中国の場合どうなるでしょう?
 私は、中国の地下鉄では、上海の地下鉄しか体験していませんが、上海の地下鉄は比較的 被害は少ないと思われます。なぜなら、地下鉄の椅子はクッションはほとんどなく、 燃えやすそうな素材ではなかったからです。 (ガソリンをかけて火をつければどうなるかわからないですけど・・・)
 ただ、人口が多いので精神異常者も多いでしょう。 地下鉄よりも、リニアの事故が危険かもしれません。先ごろ大学爆弾事件もありましたしね。
(隠者)

▼不定期コラム(2003/01/27)
旧正田邸取り壊し問題について
 最近この問題についてニュースになっているようですが、中国ではどうなのでしょうか?
 日本と同じ様に、近くの住民が遺跡取り壊しなどついて反対運動をやって遺跡を残してほしいものですが、 おそらくそうはならないでしょう。 逆に何も知らない住民が、生活の邪魔だからということで取り壊してしまうこが多いような気がします。
 また、テーマパークなどの施設も資金不足から途中で頓挫してしまうことも多々あります。 そして、一番の問題が文革(文化大革命)です。これにより取り壊された遺跡がたくさんあります。 その後、復旧されたものもありますが、そのまま消え去ったものが多々あります。非常に残念でなりません。
 賛否は色々あると思いますが、私としては是非とも残していってもらいたいと思います。
(隠者)